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The FanKey~開発途上国へのアプローチ~

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2011/04/19
19:12
被災地支援―懐 8/8

感想

震災後一カ月の被災地を訪れてみて感じたことは、避難所生活者と自宅避難者とのギャップです。

1か月も経つと、物資が足りない避難所はほとんどありません。どの避難も所貯蔵庫は満タンのようです。
しかし、避難所での生活はプライバシーもなくストレスを感じている人たちがほとんどだと思います。
一方で自宅避難の人たちには物資が足りていません。
女川町でも避難所の体育館は支援物資が山積みの状態でしたが、近くの自宅避難の人たちには全くゆき届いていませんでした。
物資の分配がうまく機能していないようです。

そこで試されるのが私たち若者の力だと思います。

今回被災地に向かったのは、大学生2人以外は仕事を持つ社会人です。土日を返上して、1度に限らず2度も車を走らせました。みなさん口をそろえて、「大学生の力が必要だ」とおっしゃっていました。
別に現地に行かなくても、ぽっとで福島の卵を買うことでもいいと思います。被害が甚大なだけアプローチの仕方は多様にあるからです。「自分ができること」考えていきたいです。
(でも現地に行くってことはホント大事だと思いました。情報社会だからこそ、現地で見て聞いて感じたことは格別な経験になると思います。)

そして最後に。この震災で生き残った私たちは何を学ぶべきなのでしょうか。
これは私の‘お師匠’が考えたことを共感できたので紹介したいと思います。

いかに防ぐか。
いかに逃げるか。
果たして、それでいいのでしょうか。
 
私達は死ぬ。必ず死ぬ。否応なく絶対に死ぬ。その最後の形は様々なれど、私達はいずれは間違いなく死ぬ。
今回、その死への覚悟を思いっきり突き付けられたと思います。しかし、その覚悟を決めずして避難対策だけに頭を絞っているかに思える私達。
 
いかにして、今を生くべきか。
 
東北から帰って、私が子ども達に強調していることです。
今回、本当に問われているのは、逃げ方よりも、生き方だと。
私は現場に立って、あらためてそれを痛感しました。
 
生くるべし。
笑ろうべし。
命、果つるまで。

まさにこの通りだと思います。



最後の最後に。

こんな小さな団体に募金してくれた皆様ありがとうございました。
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2011/04/19
17:51
被災地支援―懐 7/8

第二回 4月9日~10日
支援場所:宮城県野蒜、宮城県女川町


4月10日
2日目の目的は「自宅避難民に物資を届ける」ことです。
といっても、ほんとにこの地区に自宅避難者がいるのかははっきりしていませんでした。

自衛隊に尋ねつつ、「あっちの方に人影を見た」という言葉を頼りに自宅避難者をなんとか探し当てました。

3世帯10人が自宅避難していました。
避難者の方に聞くところによると、
震災後1カ月で、女川町から物資が届いたのは1度だけだと。

持っていった物資、とても喜ばれました。

そして、50人ほどが自宅避難している地区が近くにあるということなので、そこにも向いました。
ここでも大変喜ばれました。

印象的だったのは、涙を流しながら喜んでくれたおばちゃんたちが何人もいたことです。
その姿を見て初めて「来て良かった」と思えました。

9b2eb98b.jpegIMG_2092.JPG
 

2011/04/19
16:44
被災地支援―懐 6/8

第二回 4月9日~10日
支援場所:宮城県野蒜、宮城県女川町


4月10日
天気は快晴。きれいな海に、雲ひとつない空。
最高のドライブ日和です。

しかし、あたりは野蒜や多賀城とは比較できないほどの惨状が広がっていました。

目を上げれば、あったかお日様のポカポカ陽気。
目を下げれば、まだ霊気を残す激しき惨状。

この言葉がしっくりきます。

IMG_2022.JPGIMG_2041.JPGIMG_2049.JPG







IMG_2059.JPG船on the 屋根跡形もない








「避難所」の看板が見えますか?がれきの山この高さまで津波が…


 

2011/04/19
16:30
被災地支援―懐 5/8

第二回 4月9日~10日
支援場所:宮城県野蒜、宮城県女川町

4月9日
多賀城を通り過ぎて、東松島市野蒜地区に向かいました。
まず、前回訪れた避難所に行き物資を下ろしました。

やっと支援らしい支援ができると思い、はりきって物資を下ろすのですが・・・。

「ん?」
避難者の反応が鈍い・・・というか、みなさん疲れきっている・・・。

それもそのはず、この避難所は仕切りもない部屋に45人が寝泊まりしているのです。
被災から1カ月が経ち、避難者のストレスもピークに達しているはずです。
これだけは物資をいくら届けても、解決できない問題だと思いました。

しかも物資は十分ある・・・。「またボランティアが来たか」とまでは誰も言わないけれど、
そんな声が聞こえそうな雰囲気でした。

なんて言葉を掛けていいかも分からなかったです。
歯がゆかったですね。

f6f0d028.jpegd5f0bdeb.jpeg







「私たちは来た意味があったのか」

こんな不安を抱きつつ、この日の活動はここまで。

明日は女川町に行きます。
目的は、女川町の自宅避難者の方々に物資を持っていくことです。


2011/04/19
15:53
被災地支援―懐 4/8

第二回 4月9日~10日
支援場所:宮城県野蒜、宮城県女川町

4月9日

いよいよ東北に向けて出発です。
東北自動車道は意外にスムーズに通行できました。
途中のパーキングエリアも問題なくトイレが使え、食事もできました。

しかし、高速を降りてから、風景が一変しました。

宮城県多賀城市。
街の規模は湖山街道を想像してもらえばいいです。
道路はきれいに片づけてあるものの、道路脇にめをやるとがれきの山です。car on the car です。
電気がきてないのか、交差点で警察官が車を誘導していました。

IMG_1949.JPGIMG_1953.JPGIMG_1950.JPG







IMG_1951.JPG







2011/04/19
15:12
被災地支援―懐 3/8

第二回 4月9日~10日
支援場所:宮城県野蒜、宮城県女川町

第2回は前回行ったメンバーに4名加え、7名で行きました。
懐出身の鳥大生、谷岡と私もついていきました。

4月8日
私たち大学生二人は、8日の早朝に東京着。
その日は東京のメンバーの方に引率され、一日中東京で物資の買い出しをしました。
スーパーで野菜、果物、飲み物、お菓子を買ったり、小学校で文房具をもらったりしました。
そしてその日の夜に調達物資を2トントラックにすべて積み込みました。
この日の活動はここまでです。東京で一泊。翌朝出発です。



日が暮れるにつれて、昼間は気付かなかった東京の異変に気付きました。

「東京が暗い」のです。

私自身、田舎出身で6年ぶりの東京ですが「暗い」と感じたくらいですから、かなり節電を頑張っていることだと思います。私はこのくらいがちょうどいいと思うんですけどね。(写真はないです(~_~;))

IMG_1938.JPGIMG_1932.JPG








2011/04/19
14:29
被災地支援―懐 2/8

第一回 3月20日~22日
支援場所:宮城県野蒜、宮城県多賀城市

一回目の支援は懐のメンバー大人3名で行きました。

第1回は私は行っていません。
ここからは、実際に現地に行ったメンバーの報告メールの引用になります。
________________________________________________________
 
皆様からご寄付いただきました義援金(3/17日までの分)で購入しました物資と、杉並の教育関係者から託されました物資、そして、杉並の教育チーフコーディネイター伴野博美さんのご主人が経営されています薬局からご寄付いただきました大量の医薬品、あわせて約200人分を持って、避難所に向かいました。
 
宮城県多賀城市の総合体育館です。 約50名の方々が避難されていました。
ここでは市の職員が常駐し、うまくケアできているように感じました。
私達が仕分けもせず、車2台に詰め込んできた支援物資の中から、市職員が今必要だと感じる物を選び、それを市職員と私達「懐」チーム3名で体育館に運び入れました。
 
「兵庫と東京から来ました。小さな民間チームですので、多くは運べませんでしたが、何かお役に立てていただければありがたいです。私は兵庫です。神戸の恩もありますから。」
 
「いやいやいや、ありがとうございます!!!」
みなさんに心から喜んでいただけたようでほっとしました。
 
・・・・・・・・・・・・・・・
宮城県野蒜の避難所に向かいました。
約50人が避難されています。
 
私達が到着するまで、食料、水はわずかでした。
支援物資保管用のテント2張りの中にあったのは、段ボール箱15箱に詰められた毛布と鍋、おたまだけ。 毛布は足りていました。
 
私達は車2台からすべての支援物資をここで下しました。
「レトルトカレーです」<お~っ!>
「お薬です」<お~っ!>
 
そして、いつまでもカップめんばかり食べていられないだろうと思い、たまたま福島のスーパーで見つけたバナナ、オレンジ、キュウリも購入していました。行政やメディアでしきりに言われる「日持ちのしないものは送らないでください」とは、自分達(行政や巨大NPO)の都合(仕分けに手間がかかる)であって、被災者の側からすれば、こういったときこそ、栄養ある生ものが格別有難たいものなのです。
 
「バナナ、オレンジ、キュウリです」<え~っ!>
そして、驚きがどよめきに変わったのは、
「こんなものも車に入っていたんですが、どうでしょうか? 紙の取り皿です」<ゥオーーッツ!
ここでは、取り皿がとてもありがたかったようです。
ニーズは日々刻々変わります。 送り手側の情報収集の能力が問われます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
宮城県野蒜地区ではお寺が避難所になっているところもありました。
震災・津波被害時には500人が避難していましたが、私達がうかがったときには約100名くらいだったでしょうか。
 
浜坂から持ってきた車イス2台は、こちらの避難所にお渡ししました。
________________
被災が起きて10日ということで第一回の支援は被災者の方々に喜ばれ、良い形で終わることができたと思います。支援する側としても、「ボランティアはお呼びでない」という雰囲気の中での活動だったため、被災者の方々の役に立てた時には肩の荷がおりたような感覚だったと思います。
しかし、第2回目の支援は、被災後1カ月ということで被災地の反応が少し違いました。
続いて、第2便の報告です。

2011/04/19
13:45
被災地支援―懐 1/8

奥澤です。

東北大震災が起きて1か月が経ちました。
今回私が所属するNGO「懐」が、被災地に支援物資を2度に渡って届けてきました。
その際、ファンキーメンバーからも募金を預かったので、その報告をしたいと思います。

まず日程です。
第一回 3月20日~22日
支援場所:宮城県野蒜、宮城県多賀城市

第二回 4月9日~10日
支援場所:宮城県野蒜、宮城県女川町

詳細をUPしていきます。

2011/01/16
16:54
報告

どーも。

今日は鳥取は大雪です、すごいです。

センターだというのにダイヤが乱れて受験生は不安だったろうな…。
降雪地帯はこういうアクシデントがあるから大変だなぁ、と今更ながら思いました。


さて、ファンキーの活動についてお知らせです。
今月から6月いっぱいまで活動を停止することにしました。
理由は、メンバーが全員3年生のため、就活、卒論で忙しくなり、定期的に集まることが難しくなったからです。

就活が1段落する6月まで停止し、また集まって今後の活動について話し合いたいと思います。
高齢化のため存続が危ういかもしれませんが、まぁ、自分たちの学びの場を作るためにできた団体なので、
そのときは仕方ないかな、と思っています笑


HPの運営に関しては、今まであまり更新してこなかったので、ブログだけを残そうかなぁ、と考えています。
何にもしないのはさみしいので、6月までは、ブログにてそれぞれの近況報告をしていきたいと思っています。(不定期になりますが)


マイペースな団体ですが、これからもよろしくお願いします。


ayako
 

2010/12/25
11:34
今年もあと少し

今日は寒いですねー。

今日から実家に帰るんですけど、バスがちゃんと走ってくれるか心配です。


さて、先週こーちょーさんに1年ちょいぶりにお会いしました。

いやー、変わってなかったです笑

実はお会いするのは3、4回目で鳥取で会うのは初でした。

しかも、飲み会の場所に行ってみたら平和学の方々ばかり!

なんか、平和学ってほんとにあったんだなってやっと思いました笑


こーちょーさんは今後10年鳥取に来れなくなるそうで。

今度は静岡に遊びに行きますねー!


今年もファンキーはいろいろありましたね。

2月にはキャンドルナイトをして、

3,4月は幹部交代(そんな格好よくないけど笑)して、

5月にはゆかちゃんが加わって、

8月にはスタツアにいって、

10月には苗ちゃんが加わって・・・

こうやって書くとサークルっぽいですね笑


最近、卒論とかバイトとかで忙しくって、全員が集まれるときがないですけど、

またみんなで集まって鍋食べましょー!

東京にいるみなさんもまたお会いできる日を楽しみにしています♪


ではまた。


絢子



 

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